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2021/04/14

デジタルには想いが入りにくい気がする。そんなの要らない?

デジタルとか、AIとかは想いが入りにくい気がする。やはり、人間が手で作ったものの方が想いが入っている気がする。いや、そうでもないのか。手書きで書くのと、プリンタで打つのでは手書きの方が想いが入るように思うけどな。

工業製品はどうだろうか。印刷機で印刷されて出てきた紙には想いは乗っていないだろうか。雑誌などには想いは乗っていないだろうか。いや、物理的に存在する雑誌の写真や文章にはなんとなく想いが乗っている気がする。

では、仏像はどうだろう。

 

木彫りの仏像を手で職人が彫ったものと、立体成型物として3Dプリンタで作った仏像はどちらに想いが入っているだろう。個人的には、やはり手で職人が彫ったものに想いが乗っている気がする。魂と言ってもいいものが入っているように思う。3Dプリンタで作った仏像は、形は仏像だから、やはり仏が宿っているような気もしないでもない。だけど、ちょっと違う気もする。うーんなんだろう、この感じ。

工業製品である弊社の飾り原稿用紙やスライド手帳には、自分の想いを乗せているつもりではある。が、先の仏像のような例と比べると、想いの乗り方が少し弱いのかなぁなどとも思ったりする。十二分ではないかもしれないが、しっかり載せていきたいとは思っていて、それがユーザーさんに届くといいなとは思っている。

中小企業の場合、こうした想いをユーザーに伝えていくことが結構大事なんじゃないかと思っている。そうじゃないと、大企業のマーケティングにすっかりと負けてしまい、届くものも届かなくなるように思うから。

今どきの時代、そんなアナログな、想い、なんて要らないよという人もいるかもしれないな。

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