過ちやちょっとしたずれに寛容であることは、やさしさと感謝を生み出す
どなたかの言葉ではないですが、人間、間違いはあるし、ちょっとしたずれはある。私も含め、多くの人は聖人君主にはなれないものだ。
相手が過ちを犯したり、ちょっとしたコミュニケーションのずれをひとつひとつとがめていたら、世の中、ギクシャクするし、物事がスムースに進まない。もちろん、殺人や強盗など、法的にも感情的にも倫理的にも許せないものも存在することは確かではある。
しかし、自分の考えと違うからとか、ずれているからといって、攻撃してはいけない。多様性を受け入れる寛容さを持ちたい。そういう意味では、「寛容さをもっていない」という多様性を持っている人に対して、私が寛容さを持たねばならない!と攻撃するのもよくないと言えよう。
ただ、寛容さがない、その人と付き合い続けるかどうかも、考え方のひとつだから、とやかく言われる筋合いもない。動物である限り、自分の命が脅かされるのであれば、それは「攻撃する」か、「防御する」か、「逃げる」かになろう。
私は臆病なので、「逃げる」を選択する。逃げられない場面では、「防御」。攻撃は最後の選択である。
さて、私も逃げる用意をすることにしよう。
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