« ミスの処理を懸命にやると、 | トップページ | ずっと将来の人間が本当は神なのか »

2012/04/27

李下に冠を正さず

富士通の元社長が解任を不当として、富士通を訴えている裁判、地裁の判決が出たようですね。原告側の主張は認められず、敗訴のようですね。

経営者が解任されるというのは、結構、大きな会社なら事件ですが、それが訴訟に発展となると大事件です。そういう経営者が解任される時というのは、どういう心情なのでしょうか。

李下に冠を正さず

と言いますが、経営者は過剰と感じられるほど倫理観を持ち、君子危うきに近寄らずの精神を貫かねばならぬものなのでしょうか。

ある意味は正しく、過剰だと受け止められる場合もあるでしょうか。いずれだとしても、解任という事態に至るまでの経緯を真摯に反省し、受け止めるべきだとは思いますが、どうでしょうか。

私なら裁判などには訴えず、自身が信じる他の事業などで巻き返すことを考えます。皆さんはどうですか?

« ミスの処理を懸命にやると、 | トップページ | ずっと将来の人間が本当は神なのか »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 李下に冠を正さず:

« ミスの処理を懸命にやると、 | トップページ | ずっと将来の人間が本当は神なのか »

カテゴリー

最近のトラックバック