私は気丈でいられるだろうか
妊婦が救急をたらいまわしにされてなくなった事故(事件?)で、夫が記者会見に臨んでいたのを見た。気丈に振舞っていたし、「医者や看護師には責任がない。責めないで欲しい」などと発言していたのを見て、驚いたとともに、感動した。
そして、今朝、新聞を読んだら、「子供が母親の顔を知らないのは寂しい。だが、もしこれで医療の状況が変わったとしたら、子供に「これは母親が変えたのだ」と話したい」というような、言葉が載っていた。涙が出た。
果たして私は同じことが起こった時、同じように気丈に振る舞うことができるだろうか。きっと、取り乱すし、人のせいにして怒鳴り散らすのではないか。そう思ったら、記者会見に臨んだ夫を素晴しいと感動した。
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コメント
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こんにちは!oratakiです。
私もまったく同じように感じました。(涙は出ませんでしたけど^^)
第三者として客観的にみれば誰も責められない部分が大きいと思います。しかし、人間と言うのは「誰かの責任」にしなくては収まりがつかないもの。その「業」を超越して社会を見透かしている度量の深さを感じます。私もかくありたい。しかし、それにはもう少し歳をとる必要があるのかなと思ってます。
投稿: orataki | 2008/10/29 22:24
## oratakiさん コメント感謝です。
全く、おっしゃるとおり。人間は素晴らしいところと、残念なところが同居する動物です。
投稿: kaits | 2008/10/30 06:42