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2006/11/30

大根、それで良いのか

テレビのニュースで見ました。大根を破棄していると。大量に作りすぎて、需要が追いつかず、このままでは大根が大幅に値崩れしてしまうので、破棄するんだと。それで良いのだろうか。

市場原理からすると仕方ないということになるのかもしれないが、どうもうまく理解できない。それに追い打ちを掛けるように、破棄すると「補助金」がもらえるらしい。1キログラム27円くらいだそうである。もちろん、それじゃやっていけないんだろうけど、ゼロよりはましだということで、破棄する人が増えるのかもしれない。

きちんと破棄しないと、きっと27円は自治体からもらえないのだろう、しっかりつぶすそうである。うーん、もったいない。地球環境がどうこうといっているこの時代と逆行しているように思えてならない。

どうせ27円を自治体が出すなら、それで大根を買い上げて、ODAの予算を少しいただいて保存できるように加工、そいつをアフリカに送ってあげたりしたらどうか。「魚を与えず、魚の釣り方を教える」ことが重要であることはわかっているが、やっぱり気持ちとして子供たちが飢えて死んでいくのはしのびない。

今年もワクチンの募金に協力することにする。

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コメント

 食べ物を粗末にすることに対して本能的な抵抗を感じる気持ちは、よくわかります。私も同じように感じます。この感覚は決してなくすべきではないと思います。
 しかし、需要以上に獲れた農作物を破棄することは、現在の人類の科学力では避け難いことだと私は判断します。なんとかそれをせずに済むよう考えて努力して行くことは、必要だと思いますが。

 そしてもう一つ、「獲れ過ぎて余ったから飢餓地域に送ってあげる」という考え方は、むしろヤバイと思います。余らなければ送らなくていいのか、では余るというのはどういう状態なのか、と考えて行くと…。
 揚げ足を取るようですが、ここは人としてよく考えるべき大切なところだと思うので、敢えて意地悪を書かせていただきました。

## ユージさん
 コメント感謝です。余ったときだけあげるということでは決してありません。あまって捨てるのはいかがなものか。もしそれしかないなら必要な人に譲ってあげたらどうかということであります。
 人としてよく考えるべきというのはよく分かります。ただ、今回のことはどうも心理的に納得がいかず、思いっきり書いてしまいました。

私も仕事柄非常に複雑な心境です。
エネルギーベース40%を切ろうかという食糧自給率、
経済力に物を言わせて世界中から食べ物を買い漁り、
余れば平気で?廃棄する。
どう言えばいいのか分かりませんが、
「和の心」のようなものが失われているように思えてなりません。
このまま中国やインドが台頭してきたら勢力図は大きく変わります。
その時奢れる国日本はどうなるのか?
考えただけで背筋が寒くなります。

## みみずさん
 コメントありがとうございます。和の心、おっしゃること、伝わってきたように思います。アジアの中の日本、世界の中の日本、グローバル化と言われて久しいですが、和の心もグローバル化が必要であることは間違いなさそうです。

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